死者の霊が住むと言う月山を、テレビで見てから、いつかは行って見たいと思うようになっていました。
わりとその機会は早くにやって来ました。
宮城県に住んでいた頃のことで、最初は弥陀ヶ原からの登山でした。
信仰の篤い山なので、白装束の登山者も多く山頂まで途切れなく続いていました。
8月1日、お花畑は高山植物が咲き競っていて、日本海側の山独特の空気が、汗をかいた肌にとても心地よく、その日より月山は、こころのふるさとのような山になってしまいました。
それから、毎年のように夏か、秋にはここを訪れるようになりました。
ある年の10月10日、前の日が月山の初冠雪だったようで、着いた山は雪に覆われていたが、天候は快晴、空の色は澄みすぎて暗いようなブルーが身にまといつくような日でした。
その時は、姥沢からリフトで登ったが、良い天候に恵まれて頂上まで登り着くことができました。
帰り道、森 敦が「月山」を書くためにこもったと言う「注連寺」に寄って見ることにしました。
「注連寺」には森 敦の文庫もあり、滞在をしたという庫裏も見ることができました。
そしてここには即身仏であるミイラも住まわれていて、庭には空海が植えられたと言う、大木の枝垂れの山桜が紅葉をしていました。
ご住職が詳しく説明をしてくれたのだが、その桜は七五三桜(しめかけざくら)と言われ、真っ白に咲いて紅に散ると言う。
次の年の4月の後半、早速見に来たが、まだ咲き始めで、まばらに咲いている花は本当に真っ白な花でした。 庭には水芭蕉も咲いていました。
この辺からは、まだ雪をいただいた月山の、牛の寝ているような姿も見えて、森 敦の本のなかに出てくる村人の生活もしのばれるような里を後にしました。
1週間後は5月の連休に入り、秋田の乳頭温泉に行く予定で宿が取ってあったので、その桜が散るのを見てみたいと思い、山形を通って秋田に行くことにしました。
朝早く着いた注連寺の庭には、薄紅の桜の花びらが静かに風に舞っていました。
そして1週間前に咲いていた水芭蕉は、花が終わりひっそりと大きな葉を広げていたのが印象的でした。
2002.08.06 記