叔父が亡くなって、4年が過ぎてしまいました。
私の花遍歴はおおいに叔父が寄与しています。
私が小学校の高学年の頃に結婚して家を持った叔父は、ダリアや、グラジオラスのいろいろな品種を、通信販売で取り寄せては育てていました。
やはり、私の花好きを知っていたのだと思うが、欲しがった覚えも無いのだが毎年いろいろな球根や、花を分けてくれました。
それをどうとも思わず、教えられるままに植えると、毎年我が家の庭に、美しい花が咲くようになっていました。
それは、私が中学生くらいまでだったと思います。
その後結婚するまでは、気持ちが外に向いていて、山登りや旅行、映画などに夢中になっていたように思います。
丁度、私が結婚した頃に皐月ブームが起こり、一本の皐月の鉢植えを叔父から戴くことになりました。
新幹線も無い頃だったが、栃木県から宮城県まで大切に持ち帰ったのが晃山です。
翌年咲いた花は淡い月のような色をしていて、もう心が浮き上がるような気持ちでした。
それから挿し木をしたり、買い集めたりしているうちに、脳梗塞で倒れて療養中だった父が、やはり皐月を育て始め、血は争えず私以上に夢中になってしまっていました。
年に2回くらい帰る私に、お土産だと言っては皐月を買って待っていてくれ、10本くらいずつ何年かはもらってくるようになっていました。
その頃は車で帰っていたので、車に積めるくらい積んできていたので、我が家の庭は皐月でいっぱいになりました。
皐月の花は痛みやすいので、花時は家の中に皐月の花を入れて、私たちが小さくなって、皐月に占領されたような家に住むようになりました。
空前の皐月ブーム、ほとんどの人が何がしかの皐月を育てていたので、人伝に聞いて、知り合いの人が花を見に来るようにもなっていました。
小さな鉢ながら、一時は200鉢以上にもなってしまい、好きな人に持っていってもらうようなありさまでした。
それから30数年何度かの引越しにも何とか工夫しながら育ててきたのだが、今の家は前に住んでいた家に比べて庭も狭いし、皐月はどんどん大きくなり、私には持ち上げることさえ出来なくなってしまいました。
そうかと言って今まで育ててきた鉢植えを捨てるわけにも行かず、電話帳を頼りに引き取ってくれるところを捜し始めました。
皐月を育てていると言う業者の方は、最初は怪訝そうだったが、引き取ってくださると言うことになり、2002年9月8日、軽トラックを借りて、お嫁に出すような気持ちで皐月を乗せて隣町まで行き、引き取ってもらってきました。
これからは私たちの体力にあった、山野草の花を少しずつ増やしていきたいと思いながら・・・・
2002.09.18 記